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「絹の歴史」

絹の歴史は数千年前に遡り、最初に絹の利用が始まったのは中国とされています。紀元前2460年頃、中国の黄帝の王妃・西稜が誤ってお湯の中に繭を落としてしまい、それを箸で拾い上げようとして、その箸に繭糸が絡み付いてきたのが、絹糸の発見だったと言われています。

当時は野生の蚕の繭を集め、糸をつむぎ出して絹織物を作っていました。中国に始まった養蚕技術は、韓国、ヨーロッパ、日本など次第に世界に広まりました。西安(長安)とトルコのアンタキアを結ぶおよそ7000キロの道が繋げられ、絹織物が西方諸国に輸出されました。アジアとヨーロッパを結んでいたその東西交易路は「シルクロード」と呼ばれるようになりました。当時、蚕から糸を作る方法は中国国内で門外不出とされていて、絹織物と同じ重さの金と交換されていたそうです。

ヨーロッパ諸国では製法の秘密にされた美しい織物の正体を想像して、「絹は植物の葉をくしけずって作る」「中国では林の大木に、柔らかなフサフサしたものを生ずる。このフサフサした糸は木の葉から取れるが、これはあたかもトウモロコシの毛のようなものである。」などと考えられていたようです。

日本の絹の歴史

蚕が日本へ伝えられたのは、二世紀頃と推定されています。「古事記」のオオゲツヒメ神の項にスサノオノ命に殺されたオオゲツヒメ神の頭から蚕が生まれたとあり、「日本書紀」には殺された保食神(ウケモチノカミ)のマユに蚕が生じたと記されている。

また、「魏志倭人伝」の卑弥呼の項(二、三世紀)には、中国への貢物の中に絹織物が含まれていたことが、記されているそうです。福岡県の立岩遺跡(弥生時代中期)から出土した平織りの絹織物が日本では最古といわれていますが、織られた絹糸を見ると、中国種の細い糸で現在の三分の一ぐらいの太さ。当時の中国大陸の品種が持ち込まれていたと考えられます。七世紀中期から中国大陸や朝鮮半島からの渡来人が増加し、その先進的な技術が持ち込まれました。

その頃の日本の養蚕の担い手は主に大陸からの帰化人で、相当高度な技術を持ち、養蚕だけでなく製糸、機織まで行っていたようです。奈良時代には近畿から関東、東北にまで広がって、平安時代には全国に広まっていました。平安時代になると、かなり高度な染めや織ができるようになりましたが、高価で美しい絹織物を着ることが出来たのは上流階級の人だけで、実際に蚕を育て糸にして織物に加工していた作り手達は着ることが出来ませんでした。

江戸時代にまでなると、富を貯えた商人などが絹を着用できるようになりましたが、貴族などのステイタスシンボルであった絹の価値が低下するということで、倹約思想のもと「奢侈禁止令」などが出され、一般の絹の着用は禁止されてしまいました。明治時代には法律による着物着用の制限がなくなりましたが、高価な絹の着物が庶民の手に入るようになったのは太平洋戦争が終わって高度成長期に入る昭和30年代に入ってからです。絹が身近になってから、まだほんの50年しか経っていないんですね。

カイコは、卵 ⇒ 幼虫 ⇒ 蛹 ⇒ 成虫 と姿を変える昆虫です(完全変態昆虫)。通常「四齢五眠」で繭になります。
桑の葉を食べる齢期(活動期)と眠期(眠る)を繰り返して成長します。眠期は、脱皮する前に、幼虫が桑の葉を食べるのをやめて、頭を持ち上げて眠ったように静止します。孵化した幼虫は体長3ミリ。糸を吐く直前の熟蚕になると、体長は25倍、体重は1万倍にもなります。

蚕1頭が幼虫期間に食べる桑の葉は約21~25グラム。五齢期には四齢期の10倍もの桑を食べて体が充実します。1頭の幼虫が吐く糸は1200~1300メートル。繭一粒はおよそ2グラムで、約0.4グラムの生糸が取れます。蛹から脱皮して蛾になることを羽化といいますが、羽化した蛾は食べ物を摂らず、交尾して約500粒の卵を産み、5日間位でその一生を終えます。

絹糸

一個の繭から取れるのは、平均1200メートルの連続した一本の繊維で、天然繊維の中で最も細く、太さは3デニール程度。繭から出た一本の繭糸の構造は、横断面に切ってみると、三角形(蛤型)をした二本のフィブロインを膠着物セリシンが饅頭の皮のように被覆しています。異質なたんぱく質の二重構造です。

セリシンは熱水や石鹸水に溶けるたんぱく質なので、繭をお湯で煮ると一部が解けて繊維がほぐれやすくなります。いくつかの繭から同時に繊維を取り出し一本に集めると、セリシンは冷えて再び固まり、糸となります。このようにして糸を作ることを「製糸」といい、出来た糸を「生糸」といいます。生糸はその後、絹本来の優雅で光沢のある美しさを引き出すために、熱湯や草木灰などの上澄み液(灰汁)の入った湯で煮沸してセリシンなどの不純物を除去する作業を行います。この膠着物セリシンを取り除くと初めてスベスベした真珠色の光沢を持った練り糸、あるいは絹糸と呼ばれるフィブロインだけの美しい糸になります。これを「精錬」といいます。

絹織物一反(着物一着分)を作るには

約2700頭の蚕が98キロの桑の葉を食べて4900グラムの繭を作り、この繭から生糸900グラムが得られ、絹織物一反(700グラム)を織ることが出来るそうです。