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2006.02.25 第2回 きもの産地見学ツアー ≪沖縄探訪ツアー≫

第2回 きもの産地見学ツアー ≪沖縄探訪ツアー・琉球布紀行≫

百聞は一見にしかず!!
第2回・きもの産地見学ツアー(平成18年2/23~25)は、総勢43名で染織の宝庫沖縄に行ってきました。紅型花織・久米島紬・宮古上布などなど・・・・。太陽の島・沖縄には、その陽射しに負けないほど力強く、生命力を感じされてくれる美しく個性的な染織があります。旅行のタイトルは≪沖縄探訪ツアー・琉球布紀行≫です。
光と風に誘われて沖縄の心を探訪してきました。

【紅型】とは?・・・沖縄を代表する伝統工芸です。太古から琉球王家や氏族・諸外国の王家など多くの人々を魅了してやみません。他の伝統的な染色物との違いは、色に顔料を使用すること型彫りに突き彫りを採用しているところなどです。紅型と呼ばれだしたのは、明治以降だとされています。紅型の紅とは沖縄では「色」を意味しています。  

15代目城間栄順氏が代表を務める紅型工房に見学を見学。王朝時代の御三家(沢岻家・城間家・知念家)の中の一家で、戦後の紅型復興に貢献した、紅型工房でもあります。先代の栄喜さんは、戦後まもなく極端に物資が不足していた中で、薬きょうを改良して筒先にしたり廃品を拾いながら紅型に使えそうな材料を集め、食料は自力で調達せざるを得ない状況だったそうです。廃業する仲間があとを断たない中、栄喜氏は失われた、紅型の型紙収集のため本土まで出向いたそうです。 代々続く職の復興の為、貧しいながらも海を渡り、ひたすらに守り続けられ存在するのが現在の紅型です。

花織とは?・・・可憐な小花のような柄が特徴の織物です。読谷山花織は東南アジアからのルートでダイレクトに読谷まで伝わったものとされています。その花織は、色彩や技法の違いとなって表れています。読谷山花織には2種類あり、その他首里・知花・南風原・与那国花織などがあります。 
 
読谷村(よみたんそん)では花織を見学。600年の歴史をほこる読谷山花織ですが、明治の中期以降は衰退していきます。読谷村の與那嶺貞さんが、わずかに残っていた「ウッチャキ(祭り衣装)」や村のおばあ達からの話しを聞いたりしてデータを集め、昭和39年に90年ぶりに復元しました。
 このお話を聞き、読谷山花織が「幻の織物」と呼ばれる他に 「情熱の織物」ともいわれている理由がよく分かりました。また、現地に歌い継がれている歌に

「♪んじやりがなわかち 
      ぬぬなするいなぐ、
          花ぬヤシラミーん
               織いどしゅうる♪」
(どんなにもつれた糸でも、ときほどいて反物を作る女が花のヤシラミーも織れるのだ)

というのがあるそうです。花織りのヤシラミーが作れるには、どんなにもつれた糸でもときほぐすくらいの忍耐と辛抱強さを備えなければならないという教訓歌だそうです。
  

【芭蕉布】とは?・・・沖縄手織りの中でも最古の1つです。麻より繊維が堅いため軽く張りがあり風通しが非常に良く、さらりとした肌触りがあることです。王族から農民にいたるまで夏の衣類として広く愛用されていました。1648年には琉球王府が芭蕉当職を設け、王府直轄の芭蕉園を経営していました。民謡にも歌われている「芭蕉布」は沖縄で知らない人はいないでしょう。  

芭蕉布の里では人間国宝の平良敏子さんの工房を見学。芭蕉布づくりは大変な手間がかかり、気の抜けない根気のいる仕事だそうです。その材料すべてが沖縄の自然にあるものからつくり出されているせいか、とても優しい印象を受けました。「芭蕉布は私の母や祖母、そのまた祖先たちが何百年も前から守り伝えてきた、大切な郷土の技術であり文化なのです。今、私たちがやめてしまったら、沖縄から芭蕉布はなくなってしまいます。それは余りにも申し訳ないという気持ちで、私たちは今日まで様々な苦労を乗り越えてきました。」と話してくれた平良さんの言葉を聞き、着物という伝統・文化を後世に伝える一端を私達もお手伝いできていると胸を張っていえるよう、真剣に見学させてもらいました。

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